<<日本の簿記の始まり「帳合之法」>>

こんにちは、経理部の川口です。
経理部ブログ、9月2回目の更新となります!
9月も後半になってやっと過ごしやすい気温の日も増えてきましたね。
春と秋が一番好きなのですが(過ごしやすいので)、近年は温暖化の影響か、一気に暑くなったり、寒くなったり…
春と秋が無くなりつつあるように感じます。
季節の変わり目ですので、皆様どうぞご自愛くださいませ。
今回の経理部ブログですが、日本の簿記(複式簿記)の始まりについてお話させていただこうと思います。
日本に簿記(複式簿記)が広まるきっかけとなったのは、明治6年。
慶応義塾の創設者・旧1万円札でもお馴染み、福沢諭吉の翻訳書「帳合之法(ちょうあいのほう)」です。
それまで江戸時代では単式簿記である「大福帳」が用いられていました。
\ここで補足です!/
単式簿記とは?収入と支出のみを記録する方法。
複式簿記とは?収入と支出に合わせて資産及び負債の増減も含め二重に記録する方法。
「帳合之法」は、日本で初めて西洋の簿記(複式簿記)を翻訳し紹介した本で、アメリカの学校で使われる商業簿記の初級テキストが原書とされています。この「帳合之法」、原書を忠実に翻訳したというよりは、独自の考えが盛り込まれた、どちらかと言えば福沢諭吉の著書に近い印象を与える内容になっているようです。
遡ること江戸時代、上級武士にとって、帳簿をつけること=利益を勘定する真似は人徳のある者がすることではない、とされていた時代がありました。
帳簿をつけることは恥ずかしいという概念があり、上級武士は算術を学ぶことも無かったそうです。
一方で下級武士は算術をしっかり学ばされていました。
算術は身分が低い者が行うものとされ、また商人は商売に学問は不要という考えが続いていたそうです。
この概念をひっくり返したのが福沢諭吉。
福沢諭吉は「帳合之法」で和学(和歌や詩等)ばかりでなく、実学もしっかり学びなさいと説きました。
会計を利用して商売を拡大させ、経済を発展していこうと訴えたのだそうです。
当時の当たり前に疑問を持ち、新しい概念を提唱した福沢諭吉、改めてすごい人ですね!
日本の簿記の始まり「帳合之法」について簡単にお話させていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
簿記と聞くと、とっつきにくいイメージがあるかもしれませんが、先人達の歴史の積み重ねが現代に繋がっていると思うとロマンを感じますね。
経理部 川口